日の当たらない場所。

無職の備忘録

9/30。

現実でもTwitterでも些細なことで感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
これは本意ではなく今の心境なのだが、ネットの世界で人間関係を構築しても何かの拍子に崩れたり、現実での変化がきっかけで切れてしまう。と思うとやるせなくなってくる。たまたま意気投合してもその場しのぎの関係だから、自分はネットの人と長続きした人がいない。フォローという機能のせいで、自分に好意があるかどうかが視覚化され、ブロックされたら二度と関係を取り戻すことは出来ない厳しい世界だ。その上、Twitterの枠を超えて通話やLINEして親睦を深めた気になっても、自分が知らない内に相手の気分を害してしまい突然関係が切られる。自分にも悪い点があるのは重々承知だ。上手く感情を伝えるのも苦手で、ブロックされて、もっとああしとければ良かったなと後悔してる。精神が荒れてたり、酔った勢いでブロックしてしまった的な一時的な衝動でやる人がいるみたいだけど、それは建前で心のどこかで何かしら不満がなければ、交流してた人を切るのはあり得ないと思う。初めはブロックに気付いて、突然の事に訳が分からなくなるが、まぁでもよくよく考えると、嫌われる前兆みたいなのは頭に浮かんでくる時もある。全くコミュニケーションを取らなかった人にブロックされるのは「まぁそうだよな」で片がつく。
顔も見えない、詳しい素性も分からない状態で、人の心情に上手く察して適度な距離で仲良くなるのは本当に難しい。いきなり終わるネットの人間関係が怖くなってきた。「せっかく長い月日を掛けて交流したのに、こうもあっさり切られるなんて」と思うのは、安直で見返りを求めているからだろうか。たかがネットで現実と同じような充実感が得られるわけなかったのだ。
でも本心では仲良くできたら良いなと思う。もう一度仲良くなれるのを信じてみたいけど…。
本当に辛いなら辞めればいい話だけど、結局現実で居場所も友人もいない自分は、今の所1番愛着があるTwitterを利用するしか手がない。あとネットにまで人の幸せそうな現実を見せつけられてしまうと、現実で何もない自分としては劣等感で憂鬱になってしまう。早く現実で夢中になれるものを増やしていかなければならない。

先週から隣の家が外壁工事を始めたようで、日中は気が休まらない。土曜でも朝から作業員の話し声が聞こえてくる。しょうがない事だが早く終わらせてほしい。丁度自分の部屋とリビングの窓から隣の家が見えるから、カーテンを閉めきって生活してる。もしかしたらカーテンの隙間から自分の姿が見られてしまい、平日なのになぜずっと家にいるのかと話のネタにされてるに違いない。(昔自分の家の外壁工事の時、そうゆう話し声が聞こえてきた)外出する用があったから、仕方なく玄関を出たら、すぐ作業員に気づかれて恥ずかしくなった。しかも朝に作業員が家に来て母と親しげに話していたから、きっと顔見知りなんだと思う。こうゆう田舎の狭いコミュニティで、無職である自分の存在が知らない人に広まっていくのかと妄想が止まらない。気にしなければいいのに、何でこんなに些細な事で一々憂鬱になってしまうのだろう。生きづらい。